入院児や病児を取り巻く環境に思うこと(1)
前回、私は3つの対象層に自分が出来ることを考えたい、と書きました。
(前回記事はこちら)
(1)入院児
(2)自尊心や自己肯定感、自己効力感が低いまま育った人
(3)子育てに疲れてる人、自信を失っている人
全て自分も体験したことなので、何回かに分けて、それぞれについて深堀りしてみようかなーと思います。まずは(1)から順に。
結果、自己紹介代わりにもなるかなぁ。
長くなるので適当に、ご笑覧くださいまし。
~(1)かつて入院児だった私の想い~
私はお寺の3人兄弟の末っ子として生まれ、2歳で椅子によじ登って遊んで落ちて腕の骨にひびを入れるような、活発な性格でした。お絵かきも当時から好きでした。
小学校に上がっても放課後が終わって先生に帰れと言われるまで、友達とバスケとかのボール遊びをして、毎日元気。
でも、そんなノー天気な本人をよそに、ぶつけた記憶もないのにいつからか体中には大小20個近くのアザが出来ていて、母は学校でのいじめを疑い、学校は密かに家庭での虐待を疑っていたそうです。
そんなある日。
小学校2年生の梅雨の朝、いつものようにウダウダ言いながら家から徒歩1分(家の目の前ww)の学校に行く準備をしていた時。
鼻からツーっと生ぬるいものが出て、ティッシュで押さえると、アラ、鼻血。
兄や姉から笑われながら仕方なくソファで休むも、全然止まらない(汗)。
それどころか押さえたティッシュがどんどん赤くなって、慌てて洗面器で受けるも、ポタポタ垂れてくる。。
これはおかしい、と母が慌ててタクシーで実家近くの大学病院に私を連れていき、色々検査をしたのち、即入院決定。
特発生血小板減少性紫斑病(ITP)と診断されました(退院時には慢性と診断)。
そこまで深刻な病気ではないものの、
その時、何が衝撃的だったかって。
漢字12文字もある長たらしい病名ではなく(当然その時はチンプンカンプン)、
「(当時)原因不明の難病です」という大袈裟なフレーズでもなく、
診断を受けた時に、私がその場にいなかったこと。
正確には、担当医と母が話していた診察室の隣の部屋に私が寝かされ、天井が繋がっていたので2人のやり取りが聞こえていた形でした。
なんだか、自分のことを話されているのに蚊帳の外にいるような。
どんな顔で先生は話してるんだろう。
どんな顔で母は話を聞いてるんだろう。
何もかもが良くわからないまま、
今はただ荷物のように部屋の横に放置されている感じ。
断片的な話し声の中で、母の動揺した声だけが耳に残りました。
なんだか声を出しちゃいけないような気がして、天井を凝視して黙って泣いたことを覚えています。
1994年に日本が子どもの権利条約に批准したことから、医療現場においても患者である子ども当人の参加を重視することが徐々に推進されるようになりましたが、これは子どもにとって本当に重要だと思います。でも当時はその批准前だったので、時代的に仕方なかったのかもしれません。
この日からちょうど夏休みが終わるまでの3~4か月(うろ覚えw)、小児病棟での入院生活が始まるのですが、
入院生活がこんなにも制約だらけで、自分が決められることなんて殆どないとは知りませんでした。
そしてこんなにも寂しく、無力で、でも愛しいことも。
長くなりましたので続きは次回に。ではまた!