よもやまばなし

どうでもいいこと綴ります

親子という関係(母の日に寄せて)

先日は、母の日。

娘は幼稚園でつくってきた制作物を贈ってくれ、とても嬉しい1日でした。

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私はといえば、お花屋さんに注文してバラやカーネーション等の鉢植えを予約して、直接義母と実母宛に配送してもらう、というのが、私のこの時期のタスクです。

 

タスクというと、無機質過ぎるかな。

実際、義母は本当に優しく素敵な方で、いつも気に掛けてもらっているため、日頃の感謝を伝えたく贈っています。

 

実母にももちろん感謝はしているものの、過去のアレコレを全部水に流して「お母さん大好き!いつも本当にありがとう!!!」と言えるほど大人にもなり切れていない私は、どうしても感情のスイッチを一部切ってタスクとしてシステマチックにこなしているという表現がしっくりくるのです。。

 

(多分親子ってそんなもんなのでしょうか。義理の両親のように大人になってから付き合う他人とは訳が違いますよね。実の親とは生活の中でお互いの素を曝け出して長年付き合ってきた訳なので)

 

Facebookの投稿で、ある方が「母の日にザワザワする気持ち」について書かれていて共感しました。「親には感謝しなければならない」という社会的な言説から、どうやって自分を解放するか、と。(「親たるもの我が子には愛情深く〇〇をしなくてはならない」という親への言説もまた、根深いのかもしれません)

 

母も1人の人間で、親に完璧を求めても意味がないことは理解しているし、

私もこういう部分に気が付けたからこそ、我が子に対して無自覚に「親だから許されるだろう」と思うことに敏感になり、ある種の自戒を持って接することが出来ているのだと感謝もしています。

 

それでも、母の日は少し胸の奥がザワザワする。。

 

このあたりのモヤモヤ、ザワザワについて、最近すごくいい歌に出会いました。

 

ヒグチアイさんの「縁」という歌。

www.youtube.com

 

今放映中のテレビ東京ドラマ24「生きるとか死ぬとか父親とか」のエンディングテーマに起用されているこの歌。

 

20年前に優しく気丈な母を亡くした主人公が、老いていく破天荒な父親との歪な関係を再度築いていこうと模索するストーリーのこのドラマ(ジェーン・スーさん原作)にピッタリです。原作やドラマのタッチの通り、重いテーマなのに小気味よく軽やかで、しかし考えさせられる歌詞なのです。

 

そして何より親子という、ある意味無常非常で清濁併せた愛憎まみれの関係性をすごくうまく表現していると思うのです。

 

そうそう、まさにそうなの。

 

好きとか、ありがとうとか、そういう感極まったワードじゃなくて、

 

これまで共に過ごしてきた日々の(良し悪しでない)淡々とした事実を、

自分なりにも慈しんでいて、でも古傷は癒えない。

これからも変わらず憎ませてほしいという、

不器用な想い(これもきっと愛情や甘え)。

 

私の母への想いは、この歌詞がすべて代弁してくれてるといってもいいかも。

この曲に救われる方、ほかにもいるんじゃないかな。

 

歌詞は以下の通りです。

 

***

 

自由気ままで 自分勝手で
わたしを置いてくあなたが
歩幅合わせて歩くようになった
それが寂しい


素直になれないわたしたちは
諦めることを覚えた
このまま向かい合わずに
隣で同じ景色見ようよ


あなたがいたから
わたしがいるのよ
わたしがいたから
あなたがいるのよ
それだけは混じりっけない
事実 事実だから


年重ねれば 丸くもなるさ
それもしあわせの形ね
だから削りカスを集めてまた
棘を作っていく


雲が翳って雷が
落ちるまでがあなたでしょう
優しくなんかならないで
隣で憎ませてほしいよ


あなたといたくても
わたしは変わらない
わたしといたくても
あなたは変われない
あなたといたいから
わたしは離れた
いつまでも背中ごしの景色
見ていたいよ


あなたがいたから
わたしがいるのよ
わたしがいたから
あなたがいるのよ
それだけは混じりっけない
事実 事実だから

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/higuchi-ai/yukari/