よもやまばなし

どうでもいいこと綴ります

「母親なんて、いつまでも育児初心者」

急な肌寒さから暑さが少し戻り、秋晴れが増えて気持ち良いですね。

最近、色々なことが自分の中でつながっていく嬉しい感覚があり、少々混乱して頭が取っ散らかってますが、落ち着いてたらまた整理がてら、ブログに書こうと思っています。

 

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さて、前回の続きです。

産後1年経ってもイライラが収まらず、同期だったキャリアカウンセラーの方に 相談に行った時のこと。話は私の過去にさかのぼり、私が母を好きになれないこと、それなのに母と同じようになっていく自分を止められずに怖くなっていたことなどを話しました。

  

カウンセリングの中で、時折、「この部分はカウンセラーとしてというより、私個人の意見なんだけどね」と前置きしながらも、彼女は私の拙い話から要点を紡いでくださいました。

 

***

 

私が20代まで殆ど人に怒ることがなく、概ね安定した情緒で落ち着いた雰囲気を出していたのは、とても素敵なことではあるけれど、その方は私に対して、年齢不相応の不自然さも感じていたこと。

 

それは私が自分の成育環境の中で、「人を信頼すること」「人に期待すること」を半ば諦めていたから、他者に感情を揺さぶられることが少なかったのではないかと。

 

その状態が常だった私が、夫と出逢い、我が子に出逢い、家庭を築いていく過程で、人を心から信頼したり期待することを学び、だからこそ、怒りや妬み、悲しみ等の負の感情も湧き出てくるようになったのではないかと。

 

ただ、多くの人は思春期等の若い頃に自分の激しい感情に慣れていき、感情のコントロールができるようになっていくが、私の場合は30代でやっとそのスタートラインに立った。

 

いわば、感情のコントロールを車の運転に例えるならば、私は免許を取ったばかりの運転初心者。だから感情の振れ幅や扱い方に自分自身が驚くのも無理はなく、アクセルを踏み過ぎてしまうこともある。これは時間とともに慣れていくことも多い。

 

 

「そしてね」と、彼女は続けてくれました。

 

 

「母親」という役割は、子どもを何人産んだとしても、それぞれ個性の違う我が子の成長とともに毎回初めてのことに対峙していく。もちろん、ある程度は経験則で出来るようになっていくこともあるけれど、基本的には母親なんていつまでも育児初心者だよ、と。

 

私も、私の母も。

 

私は3人兄弟の末っ子ですが、母にとって「三児の母」は初めての経験だっただろうし、

 「持病があるのに全然大人しくしてくれない子どもの母」という立場も初めての経験だっただろうし、

今現在(当時)も、「30を過ぎ、去年出産した末っ子を持つ母」という立場は初めてだろう、と。

 

初めてだから、迷うし、基準もぶれるし、失敗もする。自分だって今まさに育児をスタートさせて、そう思うでしょう。

 

 

お母さんだからといって完璧は無理だし、完璧じゃなくていい。

 

もう少し、お母さんを1人の人間として寛容に見てもいいんじゃないかな、と。

 

*** 

 

この最後の言葉は、私が「母親」という存在に無意識に完璧を求めて自分自身にもダメ出しをしていたこと、そして何より、自分の母に完璧を求めすぎて満たされなかった過去を怒り、「自分は被害者だ」と母を恨み続けていた自分に気づかせてくれました。

 

母も、私と同じだったんだ。

 

母には母の文脈があって、当時の母の事情は知ってはいましたが、今までの私は正直「そんなの言い訳でしょ」と心の中で密かに断罪していました。

 

でも、母も私と同じ。悩みながら母なりに必死に育児をしてきてくれていたんだ。恥ずかしながらこんな当たり前の事に気がつくのに時間がかかり、この時やっと、そう素直に思えたのです。

 

そう思えてやっと、母を一人の人間、女性として捉えることが出来るようになりました。母に心から感謝できるようにもなりました。

 

   

この一連の気づきは、「ずるい」という自分が押し込めてきたインナーチャイルドや、人に対して無意識に抱くようになっていた「諦め」という感情、そして母に対する自分の幼さや思いの変化を通して、結果的に自分と深くつながり、自分を癒すことに繋がっていったのでした。

 

私は今でも娘にイライラすることは皆無ではないけれど、少しずつ、コントロールできるようになってきました。

まだまだ覚束ないけれど、これからも、「母親初心者マーク」を堂々とつけて試行錯誤しながら、家族の声も自分の声も素直に聴き入れながら、楽しんで育児していきたいと思います。

 

そして、環境や文脈は違っても、同じように苦しんできたお母さん方がいるならば、一緒に考えていきたい。心からそう思います。