よもやまばなし

どうでもいいこと綴ります

「獲って殺して食べて、自分は生きている」ということ

 

台風による長雨で、金木犀もだいぶ散ってしまいましたね。

そんな天気になる直前の晴れた日に、親子で幼稚園の親子遠足で江ノ島へ。保護者たちに見守られながら、園児たちは地引網漁の体験をしてきました。

 

業者さんが仕掛けておいてくれた網の縄を園児たちが引っ張り(機械が縄を巻き取ってくれてるので、園児たちは巻き取られる縄を引っ張り雰囲気を味わうだけですが😆)、保護者の予想を超えて獲れたのは、イシモチ、コハダ、鯛、カンパチ、エイ等★

 

達成感も味わえた様子。親としても、なかなか良い体験でした。

 

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地引き網の後は、ソーシャルディスタンスを意識しつつお弁当を食べて(でも園児は密不可避…笑)海遊びに江の島水族館。帰宅後は、シャワーの後で娘の水着やらサンダルやら海にまみれたモノ達を洗い、さて。。

 

分配されたお魚(イシモチ)二尾を捌かなくては(汗)

 

 

ワタクシ、普段切り身ばかり買っているのでお魚を捌けません( ・´ー・`)

でも今の時代、ググれば(これも死語ですね)大抵なんでもできる!捌き方を調べているうちに、こんな文章を目にしました。

 

「魚は生前(?)の姿のままで売られている珍しい食材です」

引用:https://www.osakana-kitchen.com/howtoclean/

 

 

…確かに!

 

考えてみれば、その他の食材は加工されて「生前」の姿で売られていないものばかり。 その方が運搬も便利だし、調理も簡単。衛生的。必要な分だけ買えて経済的。

 

消費者として有難いことばかりだけど、

その結果、私たちは

「この生き物を殺して今から食べる」という覚悟を毎回意識せずに済んできた気もします。

 

それって、意識しなくていいことだっけ。

 

たとえ殺したのが自分でなくても、「獲って殺して食べて、そのおかげで自分が生きている」という実感は、「いただきます」「ごちそうさま」の原点。

 

言葉ではいつも伝えてはいても、野菜の収穫とはまた違う、「魚を捌くと血が出るんだ」とか「もう動かなくなった」とか、当たり前だけどそういう生々しい原体験を持つことは、(トラウマにならない程度に)意識的に取り入れていく必要もあるのかも。

 

…なんて、イシモチを捌く横で「こわい」とか「かわいそう」とか「おいしそう」とかキャーキャー言いながら、たまに神妙な面持ちで恐々覗く娘を見ながら思ったのでした。

(イシモチは塩焼きで家族で美味しく頂きました。うっかりしていたけど、写真とれば良かったな~)