よもやまばなし

どうでもいいこと綴ります

凧よ、糸を切れ

 

 

新年、あけましておめでとうございます🌅

 

コロナに揺れた2020年。

まだまだ収束は先になるでしょうが、

なんであれ未来はいつも想定外。

生活を支えてくれている多くの

医療・産業従事者の方々に心から感謝しつつ、

粛々と楽しく過ごしていきたいです。

 

 

さてさて。

我が家は毎年、初詣は神社には行かず「空詣」をしています。夫婦ともに、その方がしっくりくるんです。自然、よろずの神への感謝や畏敬というか。

 

今年は展望台は避けて、公園で凧揚げに変更。

(本当は娘がプリキュア凧揚げ欲しい!と言ったから買っただけで、理由は後付けですが😆)

 

抜けるような青空を、どんどん高く昇る凧。

娘が一通り飽きた後、私も。

思えば、私は初めての凧揚げでした。

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気持ちいいなぁ〜…

でも糸で繋ぐとちょっとペットみたいだな…

それはそれで可愛いけど。

 

なんてほんやり思いながら雄大に空を泳ぐ凧を眺めていると、

 

少し離れた所で同じように凧揚げしていたご家族。凧同士が空中で絡み合い、一つの凧の糸が切れてしまったのです。

 

「わー!切れたー!!」

「これが本当の【糸の切れた凧】だなぁー!」と大笑いのご夫婦。お子さんは落ちた凧を拾いに行って、「これまだ遊べるー?」と。

(幸い、広い公園だったので凧は誰にも当たらず静かに落ちたのでした)

 

そういえば私、「糸の切れた凧」って母に呼ばれてたっけ。ふいにそんなことを思い出しました。

 

***

 

「あんたは糸の切れた凧ね」。

ため息混じりに言われた言葉でしたが、私にはとてもしっくり来たのを覚えています。

 

私は寺の次女として生まれました。

前例が大事で封建的な価値観に生きざるを得なかった彼らにしてみれば、

天邪鬼で、感覚的で、人と同じである事や人の「生まれ」「家柄」に関心がなく、立場的にも寺を継ぐ可能性のなかった私は、彼らにとって異質であり、もしかしたら羨ましかったのかもしれません。

その意味では、私は恵まれた環境にいたのでしょう。

 

***

 

 

凧を見上げながら、そんなことを思い出す。

 

これからも、「糸の切れた凧」で行こう。

自分の意志を持ち、風を読み、

流れに抗うことなく自然体で進む凧。

 

糸なんか切って、高く高く翔んでいけ。

思うままに、進め。