死ぬときに、なにをしたいですか?
最近、娘がパソコンを自作しました。
我が家は夫婦ともにリビングで仕事をすることが多いので(夫は家でもノートPCを常に持ち歩いてる勢い)、「自分のもほしい!」と3歳くらいのころに1台目をつくってあげたら喜んで使うようになり、つい最近2代目を作成。
(画面部分には仕事の不要な印刷物を使ったのでちょっと消しときます😌)
厚紙と折り紙を楽しそうに貼り、夫の横で「仕事デキる女」を気取ってはご満悦ですw
さて今回書きたいことは、「自分が死ぬときにしたいこと」。
こういった問いは、私の会社のキャリア支援セミナー等でたまに行われるアイスブレイクの1つでもあります(とはいえ人によってはセンシティブなテーマなので、その場の状況を見てですが)。制限制約を取っ払って、人生観、死生観を言語化して共有することで、自分の軸を再確認したり、参加者同士の相互理解を促したり。これから行われるセミナーへの参加意識を高める意図もあります。
2020年以降、新型コロナウイルスの世界的な蔓延によって、それまで日常と隔絶されてきた「死」が、健康な人でも若い世代でも身近な問題として捉えられるようになったと思います。誰にとっても、明日も必ず健康体でいられる保障がなくなったのですから(もともとそんな保障なんてないのだけど、現実的で具体的な脅威が現れないと意識しないのが人間ですね)。
先日、仕事の1場面でこの問いを考える機会がありました。
他のメンバーは、
「これまでお世話になった方々に感謝を伝えたい」とか、
「美味しいごはんを大切な人と食べて、最後の幸せを味わいたい」とか、
「きれいな景色を眺めながら、家族に静かに看取られたい」とか、
思い思いに語ってくれましたが、
私は… まったく浮かびませんでした(ちーーん)
前なら色々浮かんだのですが。
今は敢えて言うなら、「普段通りに、流れのままになればいいかな」と思ったのです。
もっと言うと、死ぬと自覚してから何かしたい、と思わなくてよい人生にしたい。
最後の最後にどうこうしたからって、自分の人生が覆せるわけでもなく、
日々の積み重ねが人生なのだから、最期がどんな状況になるかはあるがままに引き受けよう、という感覚です。
この問いに答えるなら、
死ぬ間際に走馬灯というものが本当に見られるとしたら、
幸せな思い出を、あの人の笑顔を、苦しかったことが報われた瞬間を、
1つでも多く見たい。思い出したい。
そうなれるように、今日は、こんなことを意識してみよう。
あんなことをしてみよう。
たとえ今日はそう過ごすことが出来なかったとしても、焦らなくていい。
恥ずかしいくらいにしょうもない自分も、案外愛おしいから。
人生は短いようで、案外長いんだから。
そんな風に生きられたら本望です。
やっぱり、死を考えることは生きることに繋がるんだなぁ。
なんて、最近ドはまりしている藤井風さんの曲を聴きながら思うこの頃。
(彼の曲で表される死生観、人生観、達観ぶりと慈愛とお茶目さ、、、最高♡)
好きすぎるので貼っておきます。笑
ご本人の解説はこちら
https://m.youtube.com/watch?v=cWmLTlXszrQ
ご本人の解説はこちら
https://m.youtube.com/watch?v=36fhfRh_iVk
さて。
あなたは、「死ぬときになにをしたいですか?」