よもやまばなし

どうでもいいこと綴ります

自分で決めて、自分の道を拓く喜びを。

 

まだまだ暑いですが、それでも徐々に秋めいてきましたねぇ。

暑さにかまけて、このブログもすっかりご無沙汰してしまいました☆

 

 

さて前回は「自己肯定感」について自分の体験を書きました。 

今回は、「自己肯定感の低さ(高さ)はどこから来るのか」について。

 

やっぱり根本的には、親(養育者)との関係性や、育った環境によるものが大きいのでしょうか。その頃に体得した物事の捉え方や考え方が、その後の人生で強化されたり捉え直しされたりしていく。

 

でも、それだけではないのかも。私が実際にそう感じたのは、就活支援の現場でした。

 

 

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 (親子ともに大好きなヨシタケシンスケさんの絵本を真似して娘が書いた絵。ほかにいくつもある絵の中で、娘はなぜこれを選んだのか…日頃娘に怒りすぎてる自分を勝手に反省しました笑)

 

 

 

***

 

 私がこれまで経験させて頂いた就活生支援の現場は、主に都内私立大学のキャリアセンターの相談員や、企業の新卒採用の面接評価代行業務(その企業の社員の代わりに面接をして、合否を付けます)など。

 

大学のキャリア支援面談ではもちろん、企業の新卒採用の個人面接代行業務でも、

本音で話し、その方のモチベーションの源泉や職業選びの軸を出来る限り一緒に言語化してその後の就活にも活かして頂くことを私はいつも心掛けるようにしていました。

それは、合格の場合はその会社への意欲形成が必要で、不合格であってもその学生さんに会社への不満を抱かせずファン(将来の顧客)になってもらうため、という意図も当然ありましたが、個人的には

 

「お互いに繕って良いことしか語らない就活は、お互いに不幸だ」

 

と強く思っていたから。

 

だからなのか、 面接本番の場でも学生さんは聞かずとも話してくれました。

 

 

面接中に「僕ほんとは就活したくないんです」と俯きながら話してくれた方。

「(内定先は)知名度あれば親も納得するんで。。」と本当の志望先を諦めていた方。

 

 

突然の告白に内心では驚きながらも、

胸の内を吐露してくれたことに感謝し受け止めつつ、改めて話を聴く中で

「じゃあどうしようかね」「自分の今後の人生をどう選択すればいいだろうね」と

一緒に考えたりしました。

(今は分かりませんが当時は偏差値の高い大学ほど学生の就職支援を重視しない傾向があったので、そういった学生さんの場合は面接までに相談できる場がなかったのかもしれません)

 

守秘義務があるので詳細は書けませんが、その話の中で、ご両親との関係や、幼少期の体験に遡る方が少なくなかった。 考えれば当たり前のことだし多くの本や論文でも言い古されていることですが、

「やっぱり自分だけではないんだなぁ。。」と感じました。 

 

※ちなみに、採用面接の場では原則として出生地や両親の職業、思想など社会的差別の原因となるおそれのある個人情報などの収集は禁止です(職業安定法)。よって面接官は職務に関係のないことを質問したり評価に反映させることは違法行為で、応募者側は万が一聞かれても答える義務はありません。私の場合はあくまで、ご本人から任意で話す内容を否定せずに聴く中で、「今とこれから」の話をしていきました。

 

※また、個人的には自己肯定感が低い(自分にOKを出せない)ことは必ずしも悪いわけではないと思います。自己肯定感が低いからこそ見える、感じられる世界もあり、「もっとこうしなくては」と尋常じゃないほどの強いエネルギーを持って行動し結果を出せる人もいらっしゃり、採用の合否にも一切関係ありません。

重要なのはその方が辛さを感じないか、辛さを感じた時に自分で対処できたり、支えくれる人が身近にいるか、会社側のサポート体制があるか否かだと思います。

 

 

 

一方で、そんな方々を見ていて、なぜ自己肯定感の低い方が絶えないのか、不思議でした。寧ろ増えている気がしました。個々の家庭だけの問題でなく、時代なのか。管理型の親が、ただ増えただけなのか。

 

考えてみれば、そもそも、日本はまだまだ「こどもは自分で自分のことを決めていける(自己決定できる)」と信じる社会ではないのでしょう。

保育観や教育観は1つの転換期を既に迎えたはず(保育所保育指針、学習指導要領の改定など)であるものの、「子どもは大人に教えられるべき、管理されるべき弱い存在」だという子ども観が、個々人の意識レベルではまだ優勢なのではないかと思います。

   

更に、大なり小なり日本は、人が選択を間違えた時のセカンドチャンスを世間が許さない風潮が海外に比べて強い気がします。むしろ最近は社会の閉塞感に比例して、異常なほどに強まっている印象です(余談ですが、最近の〇〇叩きとか「謝罪圧力」には戦慄を覚えますね…)

 

だから余計に、先を見通したがる大人は自分たちの選択を間違えないように気を配り、より選択ミスが少ないだろうと見なされる大人が問題を引き取ってしまう。

子ども自身も自分では選択決定ができないんだと思い込んで、それが強化されていく。

 

これはきっと、個々人の自己肯定感や自己効力感にも影響する問題です。 

 

結果、就活という場面では、「親が内定先を認めてくれないので内定辞退します」というケースが減らなかったり、知名度や就職人気ランキングなどの世間の評価、他人軸でしか就職先を選べないケースが後を絶たない。

 

 

よって、個人の自己肯定感の高さ低さは、

「社会環境から」 と 「成育環境から」の影響を大いに受けているのだろうと個人的には思います。(まぁこれも、当たり前の結論でしょうか…)

 

 

***

 

とはいえ。

「社会のせい」「親のせい」と言っていても始まりません。

「自分はダメだ」「自分にはできない」というのも思い込みかもしれません。

 

 

 

だからこそ、自己肯定感が低いまま育った方で、もし「苦しい」と感じているなら、

自分の足で立ち自分の頭で考えて、自分の進む道を自分で選択して決めて、自分自身を生きる喜びを実感してほしい。

 

いつからでも遅くはありません。

巷には自己肯定感を高めるための書籍やワークショップがたくさんあります。

(宗教勧誘など怪しい類には注意してくださいね)

 

私自身は、物理的経済的な自立ができたのは社会人3年目くらいから(母は私が実家を出ることを認めなかったため、先に自分で物件を契約してから事後報告しました)だし、心の底から自分の問題を母のせいにせず自分で引き取れるようになったのは、恥ずかしながら30歳を過ぎてから、出産してからでした。

それでも、いまだに色々と本を読んだり自問自答しながら模索の日々。きっとこれからも人生のテーマになることでしょう。

 

長い人生の中で、たとえ選択を間違えたように思っても、後々結果的には「間違ってなかった」と気が付くことはたくさんあるし、「振り返ればあれで正解だった」と思えるようにしていけたらと思っています。

そしていつでも軌道修正はできる。人生は「本決定」でなく「仮決め」の連続だから。

 

そう思える余地余白があるのが、普遍的な正解なんてない十人十色の人生であり、

キャリア(生き方、轍。「キャリア」の意味は必ずしも仕事に限定しません)ではないかと思うのです。