よもやまばなし

どうでもいいこと綴ります

自分を信じてくれる人がいる、ということ。

自信がなく、自己肯定感や自己効力感が低い。

 

自分を好きになることが出来ず、

いつも自分を信じることが出来ず、行動できない。

そんな自分を振り返って、また自分が嫌になる。

悪循環に陥る。

 

 

はーい。はいはい。私もそうでした。

 

でも今は、そこまで自分が嫌いじゃありません。

何が転機になったのか。

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***

 

私の場合はITP(特発生血小板減少性紫斑病)発症を機に、生活のあらゆる場面で母の禁止文句が増えました。

 

「危ないからやめなさい」

「あんたは無理」

「とにかく何もしないで大人しくしていて」

「心配させないで。余計な仕事を増やさないで」

風邪を引いた時も「この忙しい時に何なの」と毎回怒られたので、母の前では必死にクシャミも咳も堪えて元気な素振りをしていました。

(私の場合、発熱すると血小板の値が悪くなるので母は私の風邪に敏感でした。年中無休で仕事の休めない母にとっては、何かあっても私をすぐに病院に連れて行けないのではないかという不安でいっぱいだったのです)

 

母なりの愛情表現であり、我が子を心配すればこそであり、風邪の時はいつも以上に手厚く世話をしてくれました。彼女の育児状況、当時の多忙な状況を振り返れば愚痴も文句も言いたくなる、仕方なかった言葉だったとは思います。

 

でも、好奇心が強くお転婆だった8歳の子どもにとっては、こういう言葉のシャワーを浴びるうちに、あたかも自分が欠陥品でお荷物であるかのような気持が芽生えていったのも事実でした。

 

そしてやっと学校に行けるようになっても、当分は体育はドクターストップ。

衝突や内出血の危険性が少ないランニングのみOKが出たので朝礼前のランニングは張り切って頑張りましたが、ランニングはしてるし元気そうなのに(内部疾患は傍からはわからないので)体育はずっと見学している私を訝しく思う(ずるいと思ってた)同級生もいたんじゃないかなと思います。

 

そして希少疾患だから仕方ないのですが、病気について良く分からないが故に「何かあっては責任が取れない」と腫れ物に触るように私に接する先生たちも。

 

ある時、友達とふざけ合っていて私がその子の頭を軽く叩き、その子も私の頭を軽く叩いたことがありました。私が叩かれた場面だけを見ていたのか、先生がすっ飛んできて友達だけを叱ったんです。。「病気があるんだから叩いちゃダメでしょう?!」と。

ふざけて先に叩いたのは私だったのに。

その子が叱られるなら、私も叱られるべきだったのに。

弁解しようとしても聞いてもらえず、その子も納得のいかない不満げな顔をして去ってしまいました。それ以来、その子とはギクシャクしたことを覚えています。

 

その子への申し訳なさと同時に、

「やっぱり私はみんなと違うんだ」「私は何もしちゃいけなかったんだ」と悲しくなりました。

 

***

 

中学からは中高一貫校に進みました。

ITPは残念ながら慢性とのことで一生付き合っていくことになりましたが、その頃には血小板の数値もだいぶ安定し、ずっと運動を我慢していたので思い切ってダンス部に入部しました。(ダンスなら出血することないんじゃない!?と思ったことと、安室ちゃんに憧れてw)担当医も、OKを出してくれました。

でも実はその学校で一、二を争う程のスパルタ部活で、母を悩ませることになります(笑)

 

私はやっと運動できる喜びで夢中で部活に励み、褒めても頂き、大会の選抜メンバーにも多く選んでいただきました。練習終わりに気が抜けてうっかり階段踏み外して靭帯切ってギブス生活したりもしながら(笑)毎日充実していましたが、やはり母は心配で堪らなかったようです。毎朝部活を辞める辞めないで喧嘩しました。

 

中学3年生になって、もう母と毎朝喧嘩するのも疲れたし、体力は増して数値も更に安定してきたものの、正直、昭和さながらの激しい練習に今後もついていけるか不安になっていました。そして何より高校に上がれば部を牽引していかなくてはいけない立場になるのに、自分にまったく自信が持てなかった。後輩に指導する自分なんて想像もできなかった。

考えて考えて、でも半ば逃げるように部活顧問の先生に退部届を出しに行きました。

 

が。

 

退部届を出すも、1回目は先生に見向きもされず素通りで終了(爆)。

2回目も、「考え直しなさい」の一言で終了(爆)。

3回目でやっと、「…本当にいいの?」と相談に乗ってくださった先生。

 

先生は深くため息をついて、実はね…、と話してくださいました。

 

それは、毎朝といっていいほど母が先生に、私を退部させるように、せめて選抜メンバーに入れないようにと電話で懇願(苦情でなかったことを祈ります…)していたということ。

でも、先生はその都度「本人が決めることですから」と断ってくれていたのです。

 

教師として生徒の保護者に対してNoを言い続けることは、相応の意志が必要なことだと思います。

それでも先生は盾になって、私の意志を尊重して、可能性を信じて、私が自由にやりたいことをやれるように守ってくれたのでした。

 

あーーー、思い出すだけで今でも泣けてきます(笑)。

本当にうれしかった。

でもこの話を初めて聞いた時、驚きすぎて申し訳なさ過ぎて、言葉も出ませんでした。

 

先生は「部員はやめてもいいから、コーチの補助としてダンス指導だけやらない?」とも誘ってくださり心が揺れたのですが、どうしても自分にまったくの自信がなかった当時は、部員ですらなくなるのにコーチ面して後輩指導するなんて烏滸がましく感じてしまい、「そんなこと、私には無理です…」と有難い提案も受けることが出来ず、若干混乱もしていて、逃げるように職員室を立ち去りました。

(卒業後何年かして先生に再会でき、直接当時のお礼を伝えることが出来ました)

 

この出来事以来、私は自分の価値について考えるようになった気がします。

「自分なんて欠陥品で、人に迷惑かけないように何もしないことが一番なんだ」

という自己認識から、

「私の成長を期待して、陰で私の希望や可能性を信じて守ってくれていた人がいた」という大発見。

「そう思ってもらえる、守ってもらえるに足る私」を初めて発見した気持ちで、その後も紆余曲折はありましたが、同じように私を信じて支えてくださった方々に出会えたおかげで、少しずつ少しずつ、自分を肯定的に見ることができるようになってきたと思います。

 

***

 

長くなりましたが、「自分の意志を尊重して可能性を信じてくれる人がいる」という発見は、その人の自尊心や自己効力感に大きな影響を与えてくれます。

少なくとも、私の場合はそうでした。

 

特に、持病や障がいなどがあるお子さんへの声掛けは、心配な気持ちが先行して禁止言葉も増えてしまうでしょう。

 

でも、その子にも出来ることがある。

出来なくたって、挑戦したいことがある。

失敗する経験も、そこから試行錯誤してまた挑戦する機会も、自分を恃む心を育むために大事なことです。(もちろん治療などの制約の中で、かもしれませんが)

 

いいよ、やってごらん!ちゃんと見ててあげるから。

と、尊重して背中を押して信じて見守れる大人でありたい。

 

1人の大人としても、親としても、キャリア支援者としても、今後保育者になったとしても、

大切に、持ち続けていきたい想いです。

(でも、個人的にはやっぱり「親として」というのがなかなか難しい…。後日また書きます)

 

 

***

 

今回は、自分の原体験から「自信の無さ」をテーマに振り返りましたが、

次回は「自信の無さの根源」について、これまでのキャリア支援の仕事現場から感じたことを付け足しながら補足したいと思います。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

では、また!

 

 

入院児や病児を取り巻く環境に思うこと(2)

前回の続きです(前回記事はこちら)。

 

8歳でITPと診断を受け、3~4か月の入院となった私ですが、高校生の頃にも一時的に再燃して1週間入院しました。

 

 

ちなみに、私の娘も川崎病でこれまでに3回入院しています。(川崎病についても、罹患した方やご家族の参考に少しでもなればと思うので、追々書きます)

 

それぞれに思う事はありました。

 

 

まず自分の8歳の入院で辛かったのは、骨髄検査と絶食治療。

そして家に帰れず学校にも行けない寂しさ。

 

心臓の手術を翌日に控えて「いやだ!怖い!死にたくない!」と大泣きする友達を宥めるすべも知らず、ただ見つめるばかりで皆一様に押し黙っていた(子どもは影響を受けやすいので、自分も死ぬんじゃないかと動揺していたのかな)あの夜も、

昨日のことのように覚えています。

 

 

検査や先生のタイミングですべての予定が決まるので、「邪魔されずに集中して遊び込む」という子どもらしい時間も持てません。「今日はこの遊びがしたい!」という希望もなかなかかないません。

 

娘の入院中、娘も他のお子さんも、せっかく遊び出した矢先に採血やら検査で中断されて泣く場面も多々。もちろん、病院は遊ぶ場所でなく治療する場所なので、仕方ないんですけどね…

 

よって、次第に、環境適応力のある子どもたちは子どもらしい全能感や主体性を諦めて「従順な入院患者」になっていきます。子どもだって、大好きな親や優しい医療スタッフを困らせたくはないから。

 

 

それでも私は、入院中は検査の合間の隙を見ては同室の友達とも病棟の廊下で互いのベッドに腰掛けて遊び、子どもなりに新しい環境に適応して楽しく過ごしましたが、

退院後の自宅療養中に母からの禁止や制限の声掛けで、更にその「諦め」は加速しました。

 

 

さて高校生での1週間の入院は。

前回と同じ病院で勝手もある程度分かるし、入院児同士の楽しい記憶もあったので、入院と聞いてもそれほど残念には思わなかったのですが。。

 

高校生という多感な年齢への配慮や、プライベートを尊重する時代背景、当時のその病棟の雰囲気の影響もあったのでしょう。

 

私は大部屋の通路側のベッドに入りましたが、他のベッドの人は(同年代かなと思いましたが)みーんな1日中カーテン閉めっぱなし。。

カーテンを閉め切られると1日中薄暗く、時間感覚さえ狂います。

 

通路側なので窓からの空も見えず、廊下に見えるのは険しい顔で足早に歩く医療スタッフさんと、暗い顔でトボトボ歩く患者さんのみ。

検温や回診で来てくれる看護師さんも絶えず忙しそうで、談笑できそうな雰囲気ゼロ。

そして高校生だし1週間の入院なので、母ももう来ない(笑)。まだ携帯も持ってない。

 

とにかく、話し相手がいなくて孤独で孤独で。初日から発狂しそうでした(笑)。。

 

 

***

 

 

点滴や医療器具による物理的なもの以外にも、入院生活を送る子ども達の環境は制限制約だらけです。

 

そして退院しても自宅療養しなければならない場合、自宅に帰れる安心感はあるものの、制限制約は続きます。

 

このコロナ禍で、入院患者への面会制限は厳しくならざるを得ず、共有スペースや入院児のプレイルームの利用も禁止している病院が殆どでしょう。

 

少しでも、子どもらしく笑顔のある入院生活が送れるようにと祈るばかりです。

 

 

医療福祉分野を学んで来なかった素人の自分に出来ることなんて限られていますが、個人としてやりたいことは3つ。

 

一つは、ケアリングクラウンとして(映画のモデルとなったパッチアダムス氏をイメージして頂ければ分かりやすいかな?)小児病棟に訪問して入院中の子ども達の楽しい時間を一緒につくりたい。そのために今、養成研修に通わせて頂いています。

 

もう一つは、病棟保育士もしくはボランティアでも良いのでそのサポートをしたい。保育士資格は昨年取ったので、子育て等の頃合いを見ながら、一歩一歩進めていきたいです。

 

最後は、上記2つをやる上でも1番大切にしたいことですが、

その子の「できないこと」ではなく「できること」に目を向けて、

「環境」や「状況」ではなく「心境」や「存在」に心を向けて、

丁寧に対等に、付き合っていきたい。という姿勢。これは大人としても親としても対人支援者としても、大切にしたいことです。

 

 

…と、えらそーに長々と書きましたが😅

 

3回入院した娘は自分の入院経験を自負していて、「わたし、頑張ったよね!」と誇らしげにしている姿には頼もしい限り。

子どもの「消化して乗り越える力」を後押しできる大人で在りたい。子育ても、日々精進です。

 

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(写真は、積木で入院ごっこの図。子どもが先生役になることで、遊びを通して主体性や能動性を回復させるのだそうです)

 

 

次回は(2)の、「自尊心や自己肯定感、自己効力感が低いまま育った人」に何ができるか、について考えてみます。

 

では、また!

入院児や病児を取り巻く環境に思うこと(1)

前回、私は3つの対象層に自分が出来ることを考えたい、と書きました。

(前回記事はこちら


(1)入院児

(2)自尊心や自己肯定感、自己効力感が低いまま育った人

(3)子育てに疲れてる人、自信を失っている人


全て自分も体験したことなので、何回かに分けて、それぞれについて深堀りしてみようかなーと思います。まずは(1)から順に。
結果、自己紹介代わりにもなるかなぁ。


長くなるので適当に、ご笑覧くださいまし。

 

 

~(1)かつて入院児だった私の想い~


私はお寺の3人兄弟の末っ子として生まれ、2歳で椅子によじ登って遊んで落ちて腕の骨にひびを入れるような、活発な性格でした。お絵かきも当時から好きでした。

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小学校に上がっても放課後が終わって先生に帰れと言われるまで、友達とバスケとかのボール遊びをして、毎日元気。

でも、そんなノー天気な本人をよそに、ぶつけた記憶もないのにいつからか体中には大小20個近くのアザが出来ていて、母は学校でのいじめを疑い、学校は密かに家庭での虐待を疑っていたそうです。


そんなある日。

小学校2年生の梅雨の朝、いつものようにウダウダ言いながら家から徒歩1分(家の目の前ww)の学校に行く準備をしていた時。

 

鼻からツーっと生ぬるいものが出て、ティッシュで押さえると、アラ、鼻血。

兄や姉から笑われながら仕方なくソファで休むも、全然止まらない(汗)。

それどころか押さえたティッシュがどんどん赤くなって、慌てて洗面器で受けるも、ポタポタ垂れてくる。。

 

これはおかしい、と母が慌ててタクシーで実家近くの大学病院に私を連れていき、色々検査をしたのち、即入院決定。

特発生血小板減少性紫斑病(ITP)と診断されました(退院時には慢性と診断)。

 

そこまで深刻な病気ではないものの、

その時、何が衝撃的だったかって。

 

漢字12文字もある長たらしい病名ではなく(当然その時はチンプンカンプン)、

「(当時)原因不明の難病です」という大袈裟なフレーズでもなく、

 

診断を受けた時に、私がその場にいなかったこと。

 

正確には、担当医と母が話していた診察室の隣の部屋に私が寝かされ、天井が繋がっていたので2人のやり取りが聞こえていた形でした。

 

なんだか、自分のことを話されているのに蚊帳の外にいるような。

どんな顔で先生は話してるんだろう。

どんな顔で母は話を聞いてるんだろう。

何もかもが良くわからないまま、

今はただ荷物のように部屋の横に放置されている感じ。

 

断片的な話し声の中で、母の動揺した声だけが耳に残りました。

なんだか声を出しちゃいけないような気がして、天井を凝視して黙って泣いたことを覚えています。

 

1994年に日本が子どもの権利条約に批准したことから、医療現場においても患者である子ども当人の参加を重視することが徐々に推進されるようになりましたが、これは子どもにとって本当に重要だと思います。でも当時はその批准前だったので、時代的に仕方なかったのかもしれません。

  

この日からちょうど夏休みが終わるまでの3~4か月(うろ覚えw)、小児病棟での入院生活が始まるのですが、

入院生活がこんなにも制約だらけで、自分が決められることなんて殆どないとは知りませんでした。

そしてこんなにも寂しく、無力で、でも愛しいことも。

 

長くなりましたので続きは次回に。ではまた!

 

 

私が実現したいこと(再び、理想を語るの巻)

【理想と現実】

誰もが取り残されることなく、自分の可能性を信じて能力を発揮し、受け身でなく毎日を主体的に送れる。

そのために個々人が協働して、

支え合える社会。

 

私が望むのは、こんな社会です。

 

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まだまだ堅苦しい書き方だし漠然としているので、今後研ぎ澄ませたいと思っていますが、きっと多くの人が同じように願っているのでは。

 

 

でも、現実はそうでない。

 

 

・経済的問題など様々な理由で心身の余裕がなく、日々の生活も逼迫している

 

・「人と違う」ことが悪いこと、「空気を読む」ことが当然のような風潮の中で、自分らしさを押し込めたり、差別や偏見に悩んでいる

 

・自分に自信が持てず(多くは家庭環境に起因し、家庭環境は社会情勢に影響されます)、人生の節目節目で強い不安を感じたり行動に起こせない。或いは、抑圧された感情の捌け口として、人を攻撃する

 

・生活の中で制約が多いために、日々を「こなす」ことで精いっぱいで主体的に日々を「つくる」認識を持ちづらい(育児中の母親や子ども、入院児など)

 

などなど。

 

もちろん他にも様々なケースがあって、

「そんなこと、生きてく中で皆それぞれそんなこともあるでしょ。個人の問題でしょ」

 と思われることもあるかもしれませんが、

 

人間の精神発達上必要な葛藤や障壁を全部なくしたい!のではなく、

 

それって社会構造上の問題も一因かもしれないね

 

ということです。

 

以前、家族療法がご専門の或る先生はワークショップでこんなことを話されていました。

 

「個人が社会の中で生きている以上、社会の影響を受けないはずがない」と。

 

社会構造と個人は切り離せないものだということです。

 

 
【私にできるかもしれないこと、やりたいこと】

 もしそうならば、そんな社会構造を創ってきた(もしくは容認、黙認してきた)一員である私たち自身が、直して変えていけるに越したことはないと思うのです。

※ここでは「社会構造」という中に、私たちの意識も含んでいます。個々人の意識の醸成には社会構造が影響していると思うためです。

 

とはいえ「社会構造を直して変える」というのもきっと非常に難しくて、

様々な要因が複雑に絡み合っているために、

本当に多くの領域に精通していなければ全容が見えなかったりします。。

 

 

でもすべてを網羅することは大変なので(職能横断的な専門家集団が作れたら本当に理想ですが)、

自分は今、どこにフォーカスしたいか。

 

私の場合は、

 

(1)制限制約の中で生き、本来なら我儘が言えて自由奔放な「子ども」でいられるはずの期間に「従順な患者」であることを求められる入院児

 

(2)人が初めて所属する人間関係であり社会の最小単位である「家庭」で、うまく養育者(最近は子連れ再婚や養子縁組家庭など様々なケースも増えたので「親」とは書かずにおきます)と愛着関係が結べなかったり問題を抱えていたために、自尊心や自己肯定感、自己効力感が低いまま育った人

 

(3)子育てに疲れてる人、母親父親(養育者)に向いてないかも…と自信を失っている人

 

この3つに関して、当面は個人として何ができるのか考えていきたいと思っています。

 

なぜなら、この3つ全て、私も当事者だったから。。

(3)は今もたまに…(爆)。なのでまだ客観的に考えられておらず雑に書いておきます。(笑)

 

「いやそもそもあんた誰よ、偉そうに。何ができるのさ」

と思われた方。

 

そりゃ思うよね(笑)

 

 

 

【 「社会を変えたい」なんて、烏滸がましい?】

私自身も毎日、些細なことで悩んで、寝れば忘れて、楽な方に流されて、相手を傷つけていることにも気が付かずに、勝手に自分も傷ついて愚痴るような身勝手で脆弱な人間です。

 

でも、それでも自分の言動や人生には責任を持ちたいし、

自分の周りの人にはハッピーでいてほしい。見知らぬ人もそうであれば尚嬉しい。

特に社会人であり有権者である以上、この社会を構成する一員である意識(「市民」の意識)は常に持ちたい。

 

だから「社会を変えることができる人」は、

選ばれたエリートでもなく、TVの取材を受けるようなすごい人でもなく(勿論先導を切ってはくれますが)

私たち一人ひとりだと思っています。

 

あなたも、私も。

 

一人ひとりが持つ影響力は僅かでも、その総意が民意になり風潮になり、制度や文化をつくると思うのです。(最たる例は選挙ですね)

 

 

次回は、「私は何をしている人で、どうしてそう思うようになったか」について書こうと思います(といっても語るほどのことは全くなくて、どうしようw)。

 

それでは、また。

 

 

いま理想を語らなくてどうする

大学時代、友人に「これからもいつも味方でいてよね?」と訊かれたことがある。

本来なら互いの友情を確かめ合う場面で、あろうことか私は「悪いけど、それは保証できない。だってお互いに言い切れないでしょ?」的な言葉で断った。

 

案の定、かなり引かれた(笑)。

 

でも当時の私は、「今この場」については自信を持って言えても、「この先いつもあなたの味方でいる」なんて不確実な約束は誰とも出来なかった。むしろ不誠実だと思った。

 

今ならその子の心細さも孤独も理解できるし、「どんな時も自分の元から去らないで居てくれるだろう人がいる安心感」は家族を築いて良く分かった。たぶん、私は単に「味方」という言葉に引っかかったんだなと今になって思う。

 

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味方がいるなら敵がいる。

 

味方とは、美しい信頼関係を結び、助け合い、結託する。一方「敵」は相容れない者として遠ざけられ、攻撃して良い対象になる。

誰かを味方と識別した瞬間、自分の世界には敵も存在すると自覚することになる。

 

あの時、私はせめて、「あなたの世界には敵なんて居ない。恐れることなんてない」と言うべきだったかもしれない。

 

でも、相手が見ていた世界では違っていた。

私は2度、相手の真意をくみ取り損ねていた。

 

***

 

私はきっととても恵まれていて、これまで「あの人は私の敵だ」と誰かを認識したことはなかった。嫌いだとか苦手だとかは感じても、決してその人を「攻撃してよい存在」とはみなさずに済んだ。この境遇には感謝しかない。

 

でも、この日本でも世界でも、「敵と味方」の構造で世界を見ている人は多いのだろうか。今この瞬間も理不尽な武力や暴力で抑圧されている人(そして抑圧する側にいる人)はもちろん、人種、思想、社会的地位、もしくは幼少期に過酷な体験を持つために人や世界を信頼できない人。

 

ネットで個人をたたく人も、同じような構図にいるのだろうか。

はたまた、日常の鬱憤を身近なところでただ晴らしているだけなのか。(TVでは富裕層のビジネスマンに多いというデータを見た。ビジネスでライバルたちに蹴落とされないように必死に体裁を保ち感情を抑え込むなどでストレスを溜め込んだ反動ではないか、と)

 

いや、ハンナ・アーレントナチス全体主義について明確な回答をしたユダヤ人政治哲学者)が言ったように、何も考えず皆がそうしているから自分も便乗しただけなのか。 だとしたら私たちはまったく進歩していない。

 

(事実としての属性はアイデンティティに絡むので肯定したうえで、) 

白人か黒人か、

自国民か他国民(移民)か、

健常者か障害者か、

愛国者か政府批判者か、

男性か女性か、宗教は何か、

コロナを気にしないか警戒するか、

自分と同じ立場や考えかどうか。

 

当然人によって色々違いはあるけれど、それは単なる事実であって

「敵」と「味方」を分ける材料ではあってほしくない。

 

 

世界に存在しているのは、敵か味方かの二言論じゃなくて、

多数決で決まるような「正義」でもなくて、

1人1人違う感じ方や考え方を持ちながら各々の善悪の規範の中で生きている、良心を持つ独立した個人だと、私は思いたい。

もういい加減、それを踏まえた上での、政治や経済や社会構造であってほしい。

武力も個人攻撃も黙認黙殺も、政治的利用も要らない。

 

 

「捕食目的以外で互いに傷付け殺し合うのは人間だけ。ケダモノよりよっぽどケダモノだ」的なセリフ(うろ覚え)が印象的だったのは、映画『寄生獣』。

「考えるのをやめたら、人間じゃなくなる」と言ったのは、ハンナ・アーレント

 

そんなの理想論だと言われればそれまでだけど、いま理想を語らなくてどうする。

「差別をなくすために」とか「争いをなくすために」とか偉そうに語れるほどの知識も教養も経験も私には微塵もないけれど、

 

私達はケダモノのままか、

それとも脱却できるのか、

 

1人1人が真摯に考え、建設的な声を上げていかないといけないことだけはわかる。

 

 

さて。

 

今、あなたの世界に、味方はいますか。

 

敵は、いますか。

 

 

※政治に絡む問題は、多くのことを学ばないと何を書いても的外れだろうけれど、どうしても書きたかったので書きました。批判大歓迎です。

 

余白という受容

昨年、娘が幼稚園で描いた絵。

 

「何を描いたの?」と訊くと、

「うみ」とか「ラプンツェルのかみ」とか答えてくれますが、いつも曖昧(笑)

子どもは何を描くか目的を持たずに描いたりもするので、こちらも敢えて規定せずに眺めてます。

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それにしても、子どもの絵も額に入れると、

それなりになかなか現代アートっぽくなる不思議。(←ただの親バカ笑)

 

現代アートといえば、

私にはいつも思い出す絵があります。

 

私が慢性のITP(特発生血小板減少性紫斑病)という病気にかかり入院を経て、実家近くの大学病院に通院し始めた頃のこと。小学生でした。(ITPについてはまた追々書くかも)

 

当時、院内の2階外来受付から3階へ登る階段近くの壁に、1枚の巨大な絵が掛けられていて。

 

真っ白なカンバスの右端に、ちょん。と黒く太い線が1本。

99.9%が、真っ白な絵。

 

 

 

これなに??絵?

あの黒いの汚れじゃないよね?(相当失礼)

 

あの白って、白を塗っているのかな。カンバスのままかな。

 

いくらするんだろう。

いや、この壁に掛けられてるくらいだからきっとめっちゃ高そう。絶対高い。

 

どういう意味なんだろ。何を表してるんだろ。

あの白いとこもったいなくない??何か描けばいいのに。

 

ていうかアレなら私にも描ける(やっぱり失礼)

 

でも・・・なんか毎回じっと見ちゃうんだよなー。

 

 

 

私はいつも3階には用がなかったけれど、ちょうど2階から1階へ降る時にも見える位置にあったので、あの絵を見るたびに、そんなことを考えてました。

 

今になって、作者や作品名を調べてみようと記憶を呼び起こし検索してもヒットせず。

 

でも、同時に思ったんです。

 

あの絵のあの巨大な余白に、救われた人もいたのかな、と。

 

診察室で思いがけない病名を突然宣告されたり、

検査や診察で病状の悪化が分かったり、

もしくは快復したよ異常ないよと言われてホッと安堵したり。

 

いろんな人の、いろんな気持ち。

 

それを迎える、巨大な余白。

 

どの色よりも鮮やかでブレない白に、

少しだけハッとして我にかえる。

 

あまりにも白い白は不安感や緊張感さえ与えるけれど、右端の黒い「ちょん」が句点にも見えて、緊張の糸が切れるような。

あの絵を見て、フッと呼吸ができ、一旦気持ちを横に置くことが出来た人がもしかしたら居たりして。

 

だったらすごいなー。なるほどなぁ。

 

と、ひとり勝手に納得し、検索も止めたのでした(いや多分考えすぎ笑。)。

 

 

「受け止められるだけの余白」は、

自分の心の中にもきっと必要。

(特に私はキャリア支援の仕事をしているので、尚のこと。元々仕事を引きずらないタイプですが、やはり自分の状態が悪いと良い支援は出来ません)

 

「心に余裕を」なんて言い古されて当たり前すぎる話だけど、自他を受け止められるだけの余白はやっぱりいつも意識したい。(因みに、「受け止める」は「受け入れる」とは違います。すべて受け入れる必要はありません)

 

対人関係だって、育児だって、片づけだってSNSだって、要はそこだと思うんです。

 

そんなことを、これからもたくさん生み出されるであろう娘の現代アートを眺める度に、これからも思い出すのだろうな。

 

感情にアンテナを

はじめまして。taruwo_siritai です。

 

ブログ初めたてのほやほやです。

自分がブログ書くなんて思っていませんでしたが、うっかり、始めてみました。

 

というのも、最近、自分の感情に疎くなってきたなと感じるから。

 

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自分の今の気持ちをドンピシャな言葉で言い当てられない、というか。

 

単純に、語彙力の低下や話すスキルの足りなさからくるものかもしれません。

以前は人と話す仕事が中心でしたが今は在宅で資料作成や事務的なメール作業が多いし、普段は4歳の子どもと過ごすことが多いので、平易な言葉を選ぶクセがついた気もします(もちろん、同じような状況でも感覚が鈍っていない方も沢山いると思いますので要は自分の怠慢ですがw)。

 

問題は、自分が今どう感じているのかを言語化できないままでいることは、意外と疲れるということ。

 

なぜなら、言語化できるということは理解や把握がある程度完了している、ということだと思うから。だから整理して言葉に出来る。

 

反対に、できないということは、いつまでもその感情を完了できていないということではないかと。無意識のうちに言語化できない感情を引きずっているとしたら、そりゃ疲れますよね(あれ、私だけ?)。

 

それに、自分の感情に疎いということは、他者の感情の機微にも疎くなっている可能性大。

 

これはいけません。

 

語彙力を高めて感情表現を豊かにするには恋愛小説を読むのが一番!と聞いたことがあるけれど、恋愛小説ってちょっと苦手なので他の小説は読むとして、

自分の感じたことを素直に言語化する訓練は重要だと思ったわけです。

 

それで、このブログ。

似たような事を感じてる方、いないかなー?

 

と、こんな感じで、どーでもいい話を書こうかなと思っています。あーーもう暇すぎる!!!という時にでも、「どう?順調?」と覗きにきていただけたら喜びます。

 

それでは、また。